マーケティング0への招待

マーケティング0への招待/窪田 望

こんにちは、Creator’s NEXTの窪田です。ウェブ解析士アワードでは、3万8000名のウェブ解析士の中から2期連続でBest of Bestに選出されています。個人的にはGoogle Analyticsを見ているだけでお酒が飲めるタイプです。今回は経営して17年間の知見を活かし、日本が潜在的に持っている海外におけるマーケティング価値を説明していきたいと思います。

マーケティング0への招待

フィリップ・コトラー(※1)によると、マーケティングの歴史はマーケティング1.0から4.0までの歴史を辿っており、1950年の製品中心、1970年の消費者志向、1990年の価値主導、2010年の自己実現という歴史の遷移を繰り返してきたと説明されています。しかし、この考え方に違和感を覚えないでしょうか?

※1:原典 コトラーのマーケティング4.0 スマートフォン時代の究極法則

ピーター・ドラッカー(※2)はマーケティングの起源として、1650年頃に三井家が最初の百貨店と呼ぶべきものを江戸に開いた時、マーケティングは創られたと説明しています。この事実から私はこの出発点のことを「マーケティング0」と命名しました。確かに、1683年に越後屋(※3)は新築移転の際に日本初のチラシ「引き札」を発行して、江戸中に約50万枚を配布しています(※4)。また、突然の雨に備えてたくさんの番傘を店に置き、顧客に貸し出した時、「江戸中を越後屋にして虹がふき」と言う歌が詠まれました。欧米でマーケティングの中心的役割を担ったように説明されているマーケティング1.0から4.0までの流れの原点がマーケティング0なのです。

※2:原典 『マネジメント:上』 (Peter.F.Drucker著、野田一夫、村上恒夫 監訳、ダイヤモンド社、 1974)
※3・4:原典 アド・ミュージアム東京

余白の美意識

そもそも、日本にはマーケティングをする上での独自のモノの捉え方が存在していました。「白紙ももやうのうちなれば、心にてふさぐべし」と書いたのは土佐光起でした。長谷川等伯の松林図の表現した瑞々しい余白の中に日本人は感銘を受けました。独自の捉え方の正体は、「余白の美意識」です。

この感覚は欧米と日本において決定的に違う点です。情報論のグレゴリー・ベイトソンは情報とは何か、について“Any difference that makes a difference”と記しました。つまり、差異にこそ、情報があると定義したのです。しかし、日本の立場は異なります。日本の立場では「間・空・余白」のような情報を認めることができるからです。

「間・空・余白」。それらはすべて数字で表すと、0になります。マーケティング0は差異がないように見える何かの中で得られる情報に対する嗅覚によって発展しました。さて、そもそも、マーケティングの原点と言われる「引き札」が生まれた背景はどのような状況だったのでしょうか。

三井高利が発明した「現金掛け値なし」

当時の呉服屋は直接見本を持っていき販売する「見せ物商い」か、商品を得意先で見てもらう「屋敷売り」しかありませんでした。この方法だと支払いは掛売りになってしまいますので、販売してからしばらくお金が手元に残りません。最初に販売のための人件費も原価もかかった上に、入金が遅くなってしまうわけです。

そんな時代に「現金掛け値なし」と言う商法を0から思いついたのが越後屋でした。これは「店頭での現金取引で服が買える」と言う薄利多売モデルです。この方法なら呉服屋はこれまでよりもずっと早く資金が先に手に入りますので、結果的に商品を安く売ることができます。このやり方に庶民はとても喜びました。

この告知のために使われたのが引き札(チラシ)でした。この手法を考えたのが三井高利(みついたかとし)です。何もない0から着想し、新しい手法を確立させたと言うことからもやはりマーケティング0に相応しい事例と言えるでしょう。

解析可能なデータには常に欠損があり、壮大な余白が存在する。

さて、これまではずっと余白の説明をしてきましたが、一方でウェブ解析士が日常的に使う「Google Analytics」にはあらゆる情報が詰まっているように思えるかもしれません。しかし、本当にそうでしょうか。実は、そうではないことを下の図をもとに説明します。

解析可能範囲はごく一部

1セッション、とGoogle Analyticsが記録を続ける度に、誰かがアクセスをしている事実を私たちは掴むことができます。しかし、例えば、そのアクセスをしている時、どんな服を着ているのか、どんな顔をしているのか。悲しいと思っているのか、嬉しいと思っているのか。そんな事実については、類推をしていくしかありません。

もしかしたら、大好きな異性と別れた直後にアクセスしているかもしれませんし、その逆でとてもラブラブなんてこともあるかもしれません。どちらにせよ、1セッションの先には、誰かの人生があると言う事実を忘れてはいけません。思考実験のためにあなたの一番大好きな誰かのことを想像してみましょう。果たして、すべての情報を知っているでしょうか。例えば、その人にはどんな夢があるでしょうか?子供の頃、一番辛かったことは?このあたりは答えられるかもしれませんね。では質問を変えます。

「あなたといないとき、その人は何をしていますか?」この質問をした瞬間、分からない世界が広がっていきます。例えば私は自分が夜寝ている間に何の夢を見ていたかすら忘れてしまっています。自分が寝ている間の夢を忘れているのに、誰かのことを完璧に理解していることなどあり得るでしょうか。

残念ながら私たちが知ることができる情報には限度があり、解析可能な範囲と言うのは極一部です。ドラゴンクエストで「たいまつ」と言う道具があります。たいまつは暗い洞窟の中に光を灯すことができる道具ですが、まさにこの姿のように、「欠損のあるおぼろげなデータ」を持ちながら、前に進むことが求められます。

例えば、PCが映し出す美しいグラフのことを考えてみましょう。ここには数字が美しく連なっているように見え、欠損がないように見えます。

グラフのイメージ

ですが、本当にそうでしょうか?

実は小数点にはそもそも「丸め誤差」が存在します。10÷3=3.333333333…となりますが、実際のPCでは桁数を決めてどこかで打ち切るようにしています。ありとあらゆる数字は実はそもそもが連続値ではなく、離散値で、その名の通り、離れて存在しているのです。一見、欠損が一切ないように見えるグラフにすら永遠の余白が存在しているわけですね。

正解なき難問

永遠の余白を眺めながら、ウェブ解析士は常に「正解なき難問」に晒されます。助けてくれるのは「欠損のあるおぼろげなデータ」。この頼りない情報をもとに、マクロレポートやミクロレポートを作る必要があります。マクロレポートは「企業はどこへ向かうべきか」、ミクロレポートは「どうすればユーザーをハッピーにできるか」を指し示したレポートになります。

マクロレポートとミクロレポートの違い

しかし、このような不可能にも思える正解なき難問に対し、日本人の考え方を一言で表した言葉があります。それが「寄物陳思」です。松岡正剛とドミニクチェンの執筆された「謎床」によると、このような記載があります。

日本人はかつて花鳥風月や雪月花(せつげつか)を全面的に観賞していなかった。いまはみんなソメイヨシノの下でドンちゃん騒ぎをしますが、かつては花見も直接にはしない。桜の一枝を手折って(たおって)、部分だけ持ってきて部屋のなかで見る。月も月そのものを見るのではなく、水盤(すいばん)に投影してそれを見る。雪も盆景に。

では、正解なき難問を解くことは大変なのでしょうか。そのことについて日本の偉人は次のように語っています。イサム・ノグチ曰く、「完璧なものは面白みに欠ける」と言うのです。完璧なものは面白みに欠け、不完全なものがいい、白紙をふさぐのは最後は心。そう考えると、不完全であればあるほど、想像力を働かせることができます。

ウェブ解析士とはどんな職業なのか?

ウェブ解析士は、欠損しているデータをもとに、n数へのおもてなしができる職業です。少年・少女の頃、いろんな夢がありませんでしたか?ケーキ屋さん?パイロット?お医者さん?それとも、宇宙飛行士?

ウェブ解析士はその全ての職種を体験し、その良さを深く理解し、ユーザーにわかりやすく伝えることによって、具体的に助けられる職業になります。私たちは何1つ夢を諦めなくて良い職種なのです。

ウェブ解析士と企業とユーザーのイメージ

ウェブ解析士は「欠損のあるおぼろげなデータ」からユーザーの気持ちを考え、企業の人に成り代わって、その良さを必死に考えます。その時、私たちはその職業の仮面を得て、ユーザーに語りかける言葉や、コミュニケーションを考えていくことができるのです。

ペルソナ思考と日本文学

このような仮面を元に考える発想法は、元々日本が得意とするものでした。その歴史を遡ると、紀貫之の「土佐日記」の「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。」や、夏目漱石の「吾輩は猫である」などの例を挙げることができます。

また、村上春樹は「職業としての小説家」の中で、小説のキャラクター作りについて「オートマこびと」と名付けています。この命名は村上春樹が初めてオートマティック・ギアの車を運転した時に、「このギアボックスの中にはきっとこびとが何人も住んでいて、そいつらが手分けしてギアの操作をしているに違いない」と感じたと言うところから来ています。キャラクターを作る時、村上春樹は無意識下の「オートマこびと」たちがなんとかあくせくと働いている、とし、それをせっせと文章に書き写していくと書いています。しかし、それがそのまま作品に組み込まれることはなく、何度も書き直され、もっと意識的にロジカルな作業を繰り返すとも書かれています。では、なぜ原型の立ち上げについては無意識的で直感的かと言うことについては、そうしないと「生きていない人間像」ができてしまうと言うのです。

このプロセスはウェブ解析士がペルソナを作る時と酷似しています。ウェブ解析士はデータと無意識を往復しながら、1人の人物像を作っていく必要があります。1人の人物像を練り上げて、チーム内で共有をすることにより、マーケティングの方向性は定まり、チーム内で同じイメージを持つことができるようになります。そして、紀貫之や夏目漱石、村上春樹の事例が示すように、日本はペルソナ思考に向いている国だと言うことが言えます。

妄想ドリブンの国

安宅和人は「シン・ニホン」の中で、日本はAI時代の行方を妄想によって先取りしていた、と指摘しています。

“攻殻機動隊しかり、鉄腕アトムしかり、はたまたドラえもんに出てくる「ほんやくコンニャク」、「お医者さんカバン」、「暗記パン」、「エラチューブ」しかり、これらはよく見ればフェーズ2、フェーズ3そのものだ。意識している、していないにかかわらず、世界でもこれほど妄想ドリブンな情操教育を行ってきた国は珍しい。”

土佐日記や夏目漱石に限らず、日本は未来的なものですら、妄想によって実現より先に、イメージを具現化することができる力がありました。ウェブ解析士もこの種の「妄想」は必要であり、それは、未来を切り開く力の源泉になります。

さて、このある種の妄想を全く別の形にまで昇華してしまった事例を紹介しましょう。それは寅さんの「鉛筆売り」と言う話に隠されています(※5)。この話の中では甥が売れない営業として悩んでいる姿を見て、中古の鉛筆を売ってみろ、と寅さんが言います。試しに甥がやってみますが、全然うまくいきません。その姿を見て、寅さんが言ったのはこんなセリフでした。

※5:〜男はつらいよ「拝啓車寅次郎様より」〜 フーテンの寅に学ぶたった2分で売り切るセールス 法則の書き起こしを使用。 https://diamond.jp/articles/-/179357?page=2

(親戚縁者を見回して)

オレはこの鉛筆を見ると、おふくろのことを思い出すんだ。オレは不器用だったから、満足に鉛筆ひとつ削れなかった。すると夜、おふくろが鉛筆を削ってくれたんだ。火鉢の前できちんと正座して削ってくれるんだけど、削りカスが火の中に入るとプーンといい香りがしてな。きれいに削ってくれた鉛筆で勉強せず落書きばっかりしていた。

でも削った鉛筆が短くなると、その分だけ頭が良くなった気がしたもんだ。

(甥に向き直り)

お客さん、ボールペンってものは便利でいいでしょ。だけど味わいってもんがない。その点、鉛筆は握り心地が一番。木の温かさ、六角形が指の間にきちんと収まる。ちょっとそこに何でもいいから書いてごらん。

(甥が渡された鉛筆で試し書きをして、書き心地に納得している)

どう、デパートでお願いすると1本60円はする品物だよ。だけど、ちょっと削ってあるから30円だな。

(甥が試し書きの手を止めて、顔を上げる)

いいよ、いいよ、タダでくれてやったつもりで20円!

(え、いいの?という顔の甥)

すぐ出せ。さっさと出せ

ここで私たちが感じることができる寅さんの良さは、人情なのではないでしょうか。例えば、「富山の薬売り」の懸場帳には置き薬の売買記録や置き薬の商品在庫だけでなく、顧客の家族構成や健康状況などの付加情報も記録されていました。その情報が記録されることにより、知恵とまごころを尽くし、顧客のためなら日本中を駆け回るという熱い思いに繋がりました。た。

さて、私たちはあらゆる人情の体験を作り出すことができます。ですが、人情には弱みがあります。それは、アーカイブ化されないこと、そして再現させるのが難しいことです。ですが、私たちウェブ解析士はその人情の体験をウェブの中で保存することにより、何度も再現させることができるようになります。

さあ、あなたは何で余白を埋めるのでしょうか。ようこそ、マーケティング0へ。

なお、マーケティング0に関する動画はこちらからご覧になれます。文章のみならず、ビジュアルで楽しみたい場合はこちらもご覧になってください。